東京地方裁判所 平成11年(ワ)9840号 判決
原告 株式会社コマデン
右代表者代表取締役 古田島康
右訴訟代理人弁護士 関澤潤
同 鈴木成之
右関澤潤訴訟復代理人弁護士 内藤学
被告 佐野和夫
右訴訟代理人弁護士 佐藤公輝
同 二瓶茂
主文
一 被告は、原告に対し、金一三六三万九三五八円及びこれに対する平成一一年四月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の主位的請求及び予備的請求のその余の請求をいずれも棄却する
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 主位的請求
被告は、原告に対し、金一六二〇万円及びこれに対する平成一一年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 予備的請求
被告は、原告に対し、金一六二〇万円及びこれに対する平成一一年四月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告所有の建物を賃借した原告が、賃貸借契約締結の際差し入れた保証金一八〇〇万円について、右建物返還時から六か月期間経過後に保証金を返還する特約があるとして、主位的に、平成一〇年九月末日に右建物を返還したとして保証金の一〇パーセントの解約料を差し引いた一六二〇万円及びこれに対する六か月後の平成一一年四月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を、予備的に、平成一〇年一〇月二一日に右建物を返還したとして同様に一六二〇万円及びこれに対する六か月後の平成一一年四月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求めたものである。
一 争いのない事実等
1 原告(当時の商号は、古磨電設株式会社)は、被告との間で、平成八年九月一一日、東京都港区東麻布二丁目二二番二号所在の被告所有の建物のうち地下一階、一階から三階までの四室(以下「本件建物」という。)について、賃貸借期間を平成八年一〇月一日から平成一〇年九月末日まで、賃料一か月一八〇万円、保証金について左記内容の特約で賃貸借契約を締結した(以下「本件賃貸借契約」という。)。(争いのない事実、甲1)
(1) 賃借人は、保証金として一八〇〇万円を預け入れる。
(2) 保証金は、賃借人が、本件賃貸借が終了した場合には、貸室を完全に賃貸人に返還した日より六か月以内に、本件賃貸借契約にもとづき賃借人が負担すべき一切の債務を清算して差引き、残金を賃借人に支払う。
2 原告は、被告に対し、平成八年九月一一日、本件賃貸借契約における右保証金に関する特約にしたがい、保証金の一部として八〇〇万円を預け入れ、平成九年二月末日、保証金の残金一〇〇〇万円を預け入れた。(争いのない事実)
3 原告は、被告に対し、平成一〇年四月三〇日ころ、本件賃貸借契約の期間が満了する同年九月末日をもって本件賃貸借契約を終了したい旨の申し入れをし、被告はこれを承諾した。(争いのない事実)
4 原告は、被告に対し、平成一〇年一〇月二一日、本件建物の鍵を渡した。
(争いのない事実)
二 主な争点
<原告が本件建物を明け渡した時期について>
(原告の主張)
(一) 原告の原状回復義務の範囲について
本件賃貸借契約における賃貸借契約書(以下「本件契約書」という。)一九条二項は、「乙(賃借人)は自己の負担で第一八条により施設した内装・設備を撤去して貸室を原状に復し、乙(賃借人)所有の一切の物品を建物外に搬出しなければならない。」とする。ここに「原状に復し」とは完全に入居時の状態に戻すことを意味するのではなく、賃借人の保管義務違反等その責めに帰すべき事由によって加えた棄損について、賃借人においてその返還に際し、これを修理して賃借当初の原状に復する義務があることをいい、賃貸借契約の目的から、賃借物の自然または使用収益の正常な過程において発生した損耗、汚損は含まれないと解するべきである。そうすると、原告が負う原状回復義務の範囲は、本件契約書一八条で施設した内装・設備を撤去することで足り、それ以外の原状回復義務を負うものではない。原告が負うことになった、(1) 床タイルの張り替え(2) 便所と流し台のクリーニング(3) 地下一階の天井のダウンライトの補修(4) 階段と廊下のクロスの張り替え(5) 地下一階から三階までの壁のクロスの張り替えについてはいずれも、原告が本来負わない義務であるが、好意でなしたものである。
(二) 本件建物の明渡しの時期について
原告は、平成一〇年九月一六日までに、本件建物から荷物を運び出し、本件建物からの退去を完了し、遅くとも、本件賃貸借が終了する同年九月三〇日までに、本件建物を被告に対し、占有改定の方法で引き渡している。
そうでなくとも、原告は、本件賃貸借契約終了に伴う原状回復義務の範囲を超える工事をなし、その工事に要する合理的な期間内にこれを完了させて、平成一〇年一〇月二一日に鍵を返還して現実に本件建物を被告に返還している。被告は、前記のとおり、本来原告が負わない義務の範囲の原状回復をなさしめたことから、本件建物の明渡しについては右工事施工完了に必要な相当期間であれば同年九月三〇日以降になってもかまわない旨の意思表示をしていたものである。
(三) 保証金返還時期について
原告は、平成一〇年九月一六日までに本件建物から荷物を運び出し、本件建物からの退去を完了し、遅くとも、本件賃貸借契約が終了する同年九月三〇日までに、本件建物を占有改定の方法で引き渡している。従って、平成一〇年一〇月一日から六か月後の平成一一年三月三一日の経過によって、被告の保証金返還義務は発生している。
そうでなくとも、原告は、本件賃貸借契約終了に伴う原状回復義務の範囲を超える工事をなし、その工事に要する合理的な相当期間内にこれを完了させて、平成一〇年一〇月二一日に被告に対し鍵を返還して、本件建物を現実に明け渡している。したがって、平成一〇年一〇月二二日から六か月後の平成一一年四月二一日の経過によって、被告の保証金返還義務は発生している。なお、前記(一)の(1) ないし(5) の工事の全てが、原告の原状回復義務の範囲内であるとしても、遅くとも平成一〇年一〇月二一日以降については、代替性を有する当該賃貸物件の原状回復のための補修が第三者において補修着手可能な状態になっていたといえるものであるから、右期日以降について明渡遅延損害金を保証金から控除することは、賃借人の損失が賃貸人の得る利益に比し均衡を失し不公平な結果を招来する。
(被告の主張)
(一) 原告の原状回復義務の範囲について
原告と被告は、平成一〇年九月二一日、原告のなすべき原状回復工事の範囲を確定するために、関係者が会合し、通常の使用の程度を超える損耗、汚損があると思われる部分として(1) 床タイルの張り替え(2) 便所と流し台のクリーニング(3) 地下一階の天井のダウンライトの補修(4) 階段と廊下のクロスの張り替え(5) 地下一階の壁面の塗装(6) 一階から三階までのクロスの張り替え(7) 間仕切りの解体、撤去工事等を原告がなすことに合意したものである。右原告の原状義務の範囲は原告の好意でなしたものではない。
(二) 本件建物の明渡しの時期について
本件賃貸借契約終了による本件建物の明渡の期限は、平成一〇年九月三〇日であり、右原状回復工事は、右明渡期限までに完了されるべきものである。原告は、被告が本件建物の明渡しについては、右工事施工完了に必要な相当期間であれば、同年九月三〇日以降になってもかまわない旨の意思表示をしていたものであるとするが、被告がそのような意思表示をしたことはない。
原告が被告と合意した前記一の(1) から(7) の原状回復工事が完了したのは平成一一年二月一〇日であり、本件建物の鍵を受領した以降についても、工事が不完全であることについては、被告も指摘していたし、原告が依頼した工事業者も認めていた。
(三) 保証金返還時期について
原告が本件建物の原状回復工事を完了したのは平成一一年二月一〇日であるから原告の本件建物の明渡しも右同日に行われたものと解するべきである。この点、原告は、平成一〇年九月三〇日に占有改定の方法で本件建物を明渡したと主張するが、右のような意思表示がなされたことはない。
また、本件建物の鍵を被告が受領したことで、本件建物の明渡をなしたものとするが、右期日以降も原告は、残工事を完成させるよう催促し、被告も残工事があることを認めていたものである。本件において、原状回復工事の施工及びこれについての話し合いについて終始不誠実な対応をなした原告が責任を負うことが公平である。
(四) 被告は、原告に対し、本件契約書一四条の解約金として保証金の一割である一八〇万円及び本件契約書一九条三項の明渡し遅延損害金として平成一〇年一〇月一日から平成一一年二月一〇日までの間の月額賃料相当額の倍額である一五六〇万円の合計一七四〇万円の請求権を有するものである。
そうすると、被告は、原告に対し、本件契約書七条に基づき、本件預かり保証金一八〇〇万円から右一七四〇万円を控除した六〇万円の返還義務を有するのみである。
第三争点に対する判断
一 前記第二、一の争いのない事実等及び証拠(甲1ないし10、14、18ないし20、22、23、25、乙1ないし3、4の1・2、5、7ないし9、証人猪野保治、証人二ノ宮和喜、証人野澤良吉、被告本人)によれば次の事実が認められる。
1 原告(当時の商号は、古磨電設株式会社)は、被告との間で、平成八年九月一一日、本件建物について、本件賃貸借契約を締結した。
2 原告は、被告に対し、平成八年九月一一日、本件賃貸借契約における保証金に関する特約にしたがい、保証金の一部として八〇〇万円を預け入れ、平成九年二月末日、保証金の残金一〇〇〇万円を預け入れた。
3 原告は、被告に対し、平成一〇年四月三〇日ころ、本件賃貸借契約の期間が満了する同年九月末日をもって本件賃貸借契約を終了したい旨の申し入れをし、被告はこれを承諾した。
4 原告は、平成一〇年七月に具体的な引っ越しの準備作業に着手したが、被告との間においてその時点では原状回復工事等についての話合いはなされておらず、同年九月二一日に、原告と被告とで、右原状回復工事についての会合をもった。原告側からは、原告の常務取締役の猪野保治(以下「猪野」という。)と原告が退去するとの情報を聞いていわゆる飛び込みで原告に接触してきた大洋開発(内装業者)の染谷が出席し、被告側からは、被告本人、本件建物を建築した業者である株式会社野澤工務店の代表者野澤良吉が出席した(なお、被告は、この時の会合には、大洋開発の染谷は出席していなかった旨主張し、証人野澤良吉の証言中、被告本人尋問の結果中には、それに沿う旨の供述が存在するが、証人二ノ宮和喜の証言に照らして採用できない。)。右会合においては、本件建物の原状回復工事の範囲について、原告が、(1) 間仕切りについては全部撤去する。(2) 地下一階は塗装仕上げとし、階段と廊下についてはクロス張り替えをする。(3) 床のタイルの破損を補修する。(4) 床をクリーニングをする。(5) 便所と流し台のクリーニングをする。(6) 地下一階の非常灯の補修をすることで被告との間で合意された。また、一階から三階までの部屋の壁についてもクロスを張り替えるとの合意がなされた(なお、この点原告は、一階から三階までの部屋の壁についてクロスの張り替えとする合意はなく、後に、実際に工事を施工することになった株式会社ケン・クリーナーズシステムの二ノ宮和喜が被告に染色工事でやらしてくれと依頼したが、被告や野澤良吉からクロス張り替え工事と依頼されたためクロス張り替えとなった旨主張し、証人猪野保治、同二ノ宮和喜の各証言中にはそれに沿う供述が存在するが、この点のみ合意されなかったとするのは不自然であること、原告が作成した「SANOビル原状回復工事承諾書」(甲5)には一階から三階の部屋の壁について染色工事と記載されており、右書面を、原告は、被告に平成一〇年九月末ころ届けたが、被告は、これに署名しなかったこと(被告本人)からすると、右各証人の各証言部分は採用できない。)。
5 原告は、被告との間で平成一〇年九月二一日に確認された原状回復工事について、株式会社ワイズコーポレーションと株式会社ケン・クリーナーズシステムに工事を依頼し、各社と平成一〇年一〇月一日付で請負契約を締結した。株式会社ケン・クリーナーズシステムの二ノ宮和喜は、被告が、本件建物の一階から三階までの部屋の壁についてクロスの張り替えを要求したことから職人の手配や材料の手配などの点で時間がかかる旨被告に話した。
6 平成一〇年一〇月一九日ころ、被告は、本件建物の原状回復工事の状況について確認したが床クリーニングなどまだ不十分な点があったので指摘したところ、原告は、株式会社ユニバーサルトータルサービスに床クリーニング等を依頼し、その結果なんとか平成一〇年一〇月二一日に完成させた。右同日原告は、被告に対し、本件建物の鍵を渡し、被告はそれを受領した。
7 その後、被告は、いまだ原状回復工事が不完全である旨原告や前記二ノ宮に指摘し、年内に、猪野と話し合おうと努力したが、同人と会うことができず、結局、平成一一年一月二八日、猪野と二ノ宮に会って、本件建物の原状回復工事の残工事部分について確認し、二ノ宮は、その名刺の裏に、<1>けい光とう3本、<2>地下西側かべ部分、塗装(水性)、<3>非常ドア2枚(一F、2F)塗装を二月一〇日までに施工する旨記載した。そして、右工事は、同年二月一〇日完了した。
二 以上の事実を前提に以下検討する。
1 原告の原状回復義務の範囲について
前記認定の事実によれば、原告と被告間において、平成一〇年九月二一日本件建物の原状回復工事の範囲については、原告が、(1) 間仕切りについては全部撤去する。(2) 地下一階は塗装仕上げとし、階段と廊下についてはクロス張り替えをする。(3) 床のタイルの破損を補修する。(4) 床をクリーニングする。(5) 便所と流し台のクリーニング。(6) 地下一階の非常灯の補修をすることで被告との間で合意された。また、一階から三階までの部屋の壁についてもクロスを張り替えるとの合意がなされたものである。ところで、本件契約書一九条二項は、「乙(賃借人)は自己の負担で第一八条により施設した内装・設備を撤去して貸室を原状に復し、乙(賃借人)所有の一切の物品を建物外に搬出しなければならない。」とする。ここに「原状に復し」の意味については、賃貸借契約がその目的に従って使用収益をする性質のものであることからすると、賃借人がその目的にしたがって通常の用法にもとづいてなした使用収益による自然的損耗までも、その範囲内に含めることは相当ではなく、その意味で、賃借人の保管義務違反等その責めに帰すべき事由によって加えた棄損について、賃借人においてその返還に際し、これを修理して賃借当初の原状に復する義務があることをいうとするのが相当である。しかしながら賃借人がその目的にしたがって通常の用法にもとづいてなした使用収益による自然的損耗がどの範囲かについては明確でない場合が多く、そのため当事者間の話合いによって多くの場合が解決されているものと解される。そのような観点からすると、本件においても、右原告と被告間において、平成一〇年九月二一日に合意された本件建物の原状回復工事をもって原告の義務とされたものであるとするのが相当である。
2 本件建物の明渡しの時期について
本件賃貸借契約終了による本件建物の明渡の期限は、平成一〇年九月三〇日であり、右原状回復工事は、右明渡期限までに完了されるべきものである。
この点、原告は、被告が本件建物の明渡しについては、右工事施工完了に必要な相当期間であれば、同年九月三〇日以降になってもかまわない旨の意思表示をしていたものであるとする。しかしながら、前記認定の事実によれば、被告が、そのような意思表示をしたことはうかがえず、甲12によれば、被告は、原告に対し、すくなくとも原告から本件建物の鍵を受領した平成一〇年一〇月二一日までの賃料を請求したことからすると、被告は、本件原状回復工事について、平成一〇年九月三〇日までに完成するものと認識しており、右工事がそれ以降になることを許容していたということはできない。
3 保証金返還時期について
まず、原告が、平成一〇年九月三〇日に占有改定の方法で本件建物を明け渡したことを認めるにたりる証拠はない。ところで、原告は、平成一〇年一〇月二一日、被告に対し、本件建物の鍵を渡し、被告はこれを受領していること、確かに、平成一〇年一〇月二一日以降も、被告は、原告に対し、本件建物の原状回復工事の残工事の催促をし、被告が依頼した工事業者である株式会社ケン・クリーナーズシステムの二ノ宮和喜は、平成一一年一月二八日に、残工事を同年二月一〇日までに施工する旨原告に約束していることが認められるが、右工事の範囲については、平成一〇年九月二一日に原告と被告が合意した原状回復義務の範囲からするとわずかな部分であり、この点については、被告自身が行った後、原告に求償したり、前記工事業者に損害賠償請求するなどの手段を取ることも可能であることなどからすると、右平成一〇年一〇月二一日をもって、本件建物を明渡したとするのが相当である。
三 以上によれば、原告は、被告に差し入れた保証金一八〇〇万円から本件契約書一四条による解約料として保証金の一〇パーセントである一八〇万円、本件契約書一九条三項による一か月につき賃料の倍額の損害金二五六万〇六四二円(平成一〇年一〇月一日から二一日までの日割賃料一二一万九三五四円及び消費税六万〇九六七円の合計一二八万〇三二一円の倍額)を控除した一三六三万九三五八円の限度で保証金返還請求をなすことができ、その発生時期は、平成一〇年一〇月二二日から六か月経過した平成一一年四月二二日であるから、原告の主位的請求を棄却し、予備的請求のうち一三六三万九三五八円及びこれに対する平成一一年四月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 浦木厚利)